羊文学はかっこよさを諦めない
羊文学TOUR 2026「すーーーはーーー」のライブレポート。ドラムの変化や塩塚モエカの解決しないコードワーク、音の脱力感と強さの共存から、羊文学が提示する現代の「かっこよさ」の本質を考察します。
2026年9月、羊文学 TOUR 2026「すーーーはーーー」を見てきました。
終わって最初に出てきた感想は、とても単純でした。
力抜けてて良かったわ〜。
年に何本か羊文学のワンマンライブを見ていますが、今回はここ最近のライブとは少し違って聞こえました。
力が抜けている。
でも、音は弱くなっていない。
むしろ、かっこいい。
この数年、羊文学はずいぶん変わりました。会場は大きくなり、海外へ出て、ドラムも変わり、音も強くなった。
今回のライブは、その変化の先で「羊文学は何だったのか」が、少し見えたライブだったように思います。
OOPARTSから始まった
一曲目は「OOPARTS」。
これには、ちょっと涙ちょちょぎれでした。多分、セトリはこちらと同じ。
- OOPARTS
- 風になれ
- mild days
- ランナー
- 変身
- GO!!!。
古い曲から新しい曲へ年代順にたどるようなセットリストではありません。
今回の22曲を眺めると、特に『our hope』前後の曲がかなり多く入っています。
雨、ワンダー、mother、マヨイガ、光るとき、hopi。
だからOOPARTSで始まった瞬間、「原点回帰なのかな」と思いました。
でも、最後まで聴いてみると少し違いました。
昔の羊文学に戻ったわけではありません。
むしろ、昔から今までの羊文学を、現在の身体で全部やってみる。
そんなライブでした。
ヒロアからYUNAへ
羊文学の変化を一番身体的に感じるのは、やはりドラムです。
ヒロアのドラムには独特の浮遊感がありました。
「光るとき」の頃の羊文学を聴くと、音が少し宙に浮いたまま進んでいくような感じがあります。
それに対して、サポートドラムのYUNAはタイトです。
アタックが強く、時間の輪郭がはっきりしています。
昨年のライブなどでは、同じ羊文学なのに「ずいぶん違うバンドになったな」と感じることもありました。
でも、それが「Burning」や「Dogs」のような曲にはよく似合います。
特にDogs。
オルタナティブ全開です。
私は90年代のオルタナティブロックをリアルタイムで聴き込んできたわけでもないので、懐かしいとはまったく思いません。
ただ、かっこいい。
では、何がかっこいいのか。
今回のライブを見ながら、ずっとそれを考えていました。
解決しない音が気持ちいい
羊文学を聴いていて以前から面白いと思っていたのが、塩塚モエカのコードです。
一聴すると、パワーコードをジャーンと鳴らしているような単純さがあります。
でも実際にはそうではない。
add9、maj7(9)、susなど、コードの性格を少し曖昧にする音が残っています。
「more than words」などは特にそうです。
コードが「ここです」ときれいに解決(着地)しません。
私は、この解決しない感じが気持ちいいのだと思います。
しかも羊文学の場合、それをジャズやシティポップのように「複雑でおしゃれな和音」として聴かせる感じとも違います。
クリーンなギターなら、テンションが音程として聞こえる。
そこへ歪みが加わる。
さらにリバーブが加わる。
するとテンションは和音の複雑さというより、音色そのものになっていきます。
クリーンなのに歪んでいる。
美しいのに轟音です。
相反するものが、どちらかに解決されず同時に存在する。
このあたりに、羊文学の「かっこいい」の一つがあるのかもしれません。
more than wordsの変なドラム
「more than words」には、もう一つ面白いところがあります。
ヒロアが叩いていた「だってーどうだっていいって笑っても〜」サビのスネアです。
2拍目はオン。
ところが4拍目だけ、16分音符一つぶん後ろへ置かれています。
四つ打ちのキックが時間のグリッドをはっきり示しているので、聴いている側は4拍目の場所を知っています。
当然そこへスネアが来ると思う。
来ない。
ほんの少し後から来る。
たったそれだけなのですが、これが妙に気持ちいい。
考えてみれば、モエカのコードと似ています。
和声では、着地を少し保留する。 ドラムでは、バックビートの着地を少し保留する。
そこへクリーンと歪みとリバーブが重なる。
羊文学の浮遊感は、いろいろなところで「完全には解決しない」ことから生まれているのかもしれません。
でも今日はオンで叩いていた
ところが今回の「more than words」を聴いていて気づきました。
YUNAは4拍目をオンで叩いています(多分ですが、意識して聞いた時はオンビートでスネア叩いていると感じた)。
YUNAがサポートに入った初期には、ヒロアの特徴的なタイミングをかなり忠実に再現していました(2025年のタイ公演の映像がありました)。
でも今は違う。
YUNA自身のグルーヴで叩いている。
ここで「原点回帰」という最初の印象を考え直しました。
昔に戻っているわけではないんです。
ドラムはヒロアに戻っていない。
Dogsの強さも捨てていない。
それなのに、今回の羊文学はここ最近で一番、力が抜けているように聞こえました。
つまり、
脱力するということは、ルーズに演奏することではない。
ここが今回のライブで一番面白かったところです。
浮遊していたものを、強く鳴らす
セットリストは正確じゃないかもですが、この変化を意識させます。
中盤は、
- 雨
- おまじない
- ワンダー
- mother
- more than words
と、羊文学の浮遊する側をたっぷり聴かせます。
そして、その直後に、
- doll
- Dogs
- Blue.2
と続いたと思います。
ずいぶん違う音です。
でも今回、続けて聴いてみると「more than words」と「Dogs」は、それほど遠い曲ではないのかもしれない。
モエカのギターは単純なパワーコードだけには閉じない。
曖昧さを残したまま、強く鳴らす。
浮遊していたものを、今は強いビートで接地し空間に解き放つ。
だから、かっこいい。
羊文学は浮遊感を捨ててロックになったのではなく、浮遊感を作っていた自分たちの語彙を、強い音へ持ち込んだのかもしれません。
変わりながら、変わらないもの
今回のツアータイトル「すーーーはーーー」は、もちろん深呼吸です。
モエカはMCで、この一年ほどで、力が入っていると思うように演奏できないことに気づき、深呼吸して力を抜くことを大切にするようになった、と話していました。
それを聞いて、昨年の武道館でのMCを思い出しました。
海外公演をして戻ってきて、この武道館にはすごく「帰ってきた」感じがする。来てくれてありがとう。
〜日本武道館単独コンサート2025年10月9日(木)・10日(金)〜
そんなことを話していました。
羊文学は日本では武道館を埋めるバンドになりました。
大きなステージへ行き、海外へ出る。
一方、ヨーロッパでは200人ほどの小さな会場にも立っています。
大きな会場から、小さな箱へ。
日本から、海外へ。
ヒロアからYUNAへ。
浮遊する音から、Dogsのような強い音へ。
この数年、羊文学は自分たちの音楽をずいぶん違う器に入れてきました。
海外について塩塚は、ヨーロッパには3人でいっぱいになるほどのステージもあり、その場所で演奏したいものへセットリストを変更したと話しています。
大きな会場が続いたあと、急に観客との距離が近くなると「緊張しちゃう」「ちょっと照れくさい」。
一方、海外の観客がチューニング中まで声や手拍子で場をつないでくれることで、「よりゆっくりやってもいいかなって気持ちになれます」とも語っています。
そして海外を経験した後、塩塚はこんなことも話しています。
「“自分の音楽ってこうだよね”とか“うちのバンドってこうじゃなきゃ”とか、そういうものをもう捨てちゃえばいいかな」
これは大きな変化だと思います。
「羊文学らしさ」を守るのではなく、「羊文学はこうでなければならない」という輪郭の方を捨ててみる。
それでも残るものは何なのか。
会場の大きさを変える。
国を変える。
ドラマーが変わる。
音を強くする。
それでも羊文学だった。
いろいろな器で試してきたからこそ、変えても残るものが見えてきたのかもしれません。
「あいまいでいいよ」から「深呼吸」へ
今回演奏されなかった曲に「あいまいでいいよ」があります。
私はこのタイトルが、今になって妙に気になります。
曖昧なものを、無理に一つの答えへ収束させない。
それは歌詞の世界だけではなく、羊文学の音楽そのものにも以前からあったように思います。
メジャーなのかマイナーなのか。
クリーンなのか歪みなのか。
浮いているのか、強いのか。
美しいのか、かっこいいのか。
どちらか一つに決めなくてもいい。
「あいまいでいいよ」は、それを言葉として歌っていました。
ところが今回のツアーの最後に置かれているのは「深呼吸」です。
すーーー。
はーーー。
もう思想ですらない。
身体です。
曖昧なままでいい、と考えることから、
力を抜いて、そのまま音を出してみることへ。
昔から持っていたものが、長い時間をかけて演奏する身体まで降りてきた。
今回のライブを見て、そんなふうにも感じました。
力が抜けていた。でも、かっこいい
羊文学は、この数年でずいぶん変わりました。
それでも、ちゃんと羊文学でした。 そして、かっこよかった。
たぶん羊文学のコアは、特定のコードでも、ヒロアのグルーヴでも、轟音でもないのだと思います。 あるのは「いま、何がかっこいいのか」という問いの方なのでしょう。
- 解決しきらない和声。
- 少しだけ遅れて来るバックビート。
- 曖昧さを残したまま鳴らす轟音。
どれも、その時々に羊文学が出した答えでした。そして今回の答えが、力を抜くことでした。
脱力は、かっこよさを諦めたことではありません。 それ自体が、いまの羊文学が選んだ手法です。
だから音は緩んでいません。 YUNAのドラムはタイトで、Dogsは轟音のまま。力まずに、強く鳴らす。 「こうでなければならない」を手放したから、身体が固まらずに済んでいる。
OOPARTSで始まったのは、昔に戻るためではなく、昔の曲を、いまの身体で鳴らしてみる。
私が聴いたのは、そういうライブでした。
手法は変わる。ドラマーも、会場も、国も変わる。 それでも、かっこよさを探すことだけはやめない。
力が抜けていた。でも、かっこいい。 いや、いまの羊文学にとっては、 力を抜くことが、かっこよさだった。