知を残す国であって欲しい――鳥のシンポジウムと映像アーカイブ
国立映画アーカイブの資金難と鳥のシンポジウムから、日本が「知を残す国」であり続けるかという問いを考察。AI時代において一次データの価値は高まっており、長期的なデータ保存が国家戦略として重要だと論じる。
知を残す国であって欲しい――鳥のシンポジウムと映像アーカイブの記事から見えたこと
日本経済新聞で、国立映画アーカイブが運営資金不足からクラウドファンディングを始めたという記事を読んだ(リンク )。
その数日後、日本学術会議が開催する公開シンポジウム「翼がつなぐ世界」のプログラムを眺める機会があった。
一方は映画、もう一方は鳥。一見すると何の関係もない二つの話題である。しかし私には、どちらも同じ問いを投げ掛けているように思えた。
日本は、「知を残す国」であり続けようとしているのだろうか。
知識は、無料では残らない
国立映画アーカイブの記事は伝えるのは資金難で知識基盤が維持できないこと。一定の温湿度を保つ空調設備、フィルムの検査、複製、デジタル化、メタデータ整備、収蔵管理。それらを支える有期雇用の職員。どれも華やかな仕事ではないが、それらはすべて「未来へ知識を残すための固定費」である。
知識は、論文を書いた瞬間に残るわけではない。そして論文だけが知の価値ではない。
映像も、標本も、録音も、観測記録も、適切に保存され、整理され、将来の研究者が再利用できる状態で維持されて初めて「知識基盤」になる。それは未来の人類がこの時代のことをしる貴重な宝だという視点に欠けていることに感じた。そしてこの当たり前のことを、この国は忘れ始めているのではないかという危機感を覚えた。
鳥のシンポジウムに感じた小さな違和感
日本学術会議の公開シンポジウムは、鳥を通じて文化、生態、感染症、保全を横断的に語ろうという意欲的な企画だった。
専門家がそれぞれの立場から講演し、人と自然の関係を考える構成になっている。その意図には大いに共感する。
しかし、プログラムを眺めながら、少しだけ物足りなさを感じた。
「これから日本は、自然をどのように観測し続けるのか。」
その問いが、あまり見えてこなかったのである。
個々の研究は重要である。しかし、その研究を支える観測網、一次データ、長期アーカイブ、市民科学、データ基盤といった「知識インフラ」もまた、同じくらい重要ではないだろうか。
私が続けている活動も、結局は同じことだった
私は野鳥の夜間渡りを録音するNFC(Night Flight Calls)の活動を続けている。
録音機を設置し、電池を交換し、SDカードを回収し、録音データを保存し、メタデータを整理し、AIで解析する。
多くの人はAIや解析に目を向ける。しかし、実際に一番大変なのは、その前段階にある。
何年も欠損なく、一次データを集め続けること。
そこには派手さはない。しかし、その積み重ねがなければ、AI分析もできず論文も著されない。
映画アーカイブの記事を読みながら、私は自分たちの活動と重ね合わせていた。
AI時代になって、一次データの価値は変わった
ここで重要なのは、AIの登場によって一次(生)データの価値が根本的に変わったと感じている。
20世紀であれば、一次データは研究成果を生み出すための材料だった。
観測する。→論文を書く。そこで役割を終える。
しかし現在は違う。
一次データは、AIの進歩によって、同じデータから新しい特徴量が抽出され、新しい発見が生まれる。
つまり、一次データは繰り返し価値を生み続ける資産になりうるという位置付けの転換である。
映画フィルムは、文化史だけではなく映像AIの学習資源になるだろう。
鳥の録音は、生態学だけではなく、生物多様性評価、気候変動解析、感染症監視、さらには将来の環境AIの基盤にもなるかもしれない。
AIが進歩するほど、過去の一次データの価値はむしろ高まっていく。
ソブリンAIの本質は、GPUではない
近年、「ソブリンAI(国産AI)」という言葉を耳にする機会が増えた。
- GPUなどの半導体を整備する。
- データセンターを建設する。
- 大規模言語モデルを開発する。
もちろん、それらはとても重要である。GPUのチップ自身の設計力も生産力もとても重要である。しかし、それだけが本当に国家の競争力を決めるものは何だろう。
私は、その本質はその国の一次データにあると思っている。
(今は)GPUなどの半導体は買える。モデルも(同盟国ならば)入手でき、オープンソースベースなら改良もできるだろう。
しかし、数十年かけて蓄積された観測データ、映像、音声、標本、文化資料は、未来には取ることも買い直すこともできない。
それは、その国だけが持つ知識資産であり、文化基盤でもある。文化とは生態系を含めた環境の上に構築されるからだ。その多層で多様なデータを将来のAIは今以上に読み解いていくだろう。
ソブリンAIを支えるのは、半導体やデータセンターだけの話ではない。
未来へ引き継がれた一次データこそが、その国の成り立ちや文化、国力を決める燃料となるであろう。
「知を残す」という国家戦略
映画アーカイブの記事は、予算不足の話ではない。
学術会議のシンポジウムも、鳥の話だけではない。
どちらも、「この国は未来へ何を残そうとしているのか」という問いにつながっている。
AI時代になっても、知識はモデルから生まれるわけではない。
モデルが価値を生むのは、誰かが何十年もかけて残してきた一次データがあるからだ。
映画も、鳥の録音も、博物館の標本も、歴史資料も、環境観測データも、未来の研究者にとっては等しくかけがえのない知識基盤である。
日本が本当に「知や文化を残す国」でありたいのなら、AIや半導体への投資だけでは十分ではないことがわかる。
それらを動かす燃料となる一次データを、長期的な国家資産として位置付け、保存し、育て、未来へ引き継ぐこと。
それこそが、AI時代の国力を確実に決めていく、歴史的な必然なのではないだろうか。